2年前の日記を読んでつける日記のこと 2019.3.11

また誕生日が来た。いい大人もいい大人の年齢になりました。

 

一昔前の雑誌のインタビューで女優さんたちが「30代を迎えて肩の力が抜けて」「自然体で自分らしく」などとコメントしていたり、あるいは誌面の方でそういうまとめ方をするのは何故なんだろうか。今言えることは年齢なんてただの数字だな~ということだけです。生きてりゃ勝手に年を取る。

なので30になろうが35になろうが、幸か不幸か私は私のままでした。

まじか~と思う反面、このまますいすい生きて、気が付いたら死んでましたみたいなことになればいいのにな。そうじゃないので人生はつらい。ほどほどにがんばりましょう。

 

 

2年前に書いた日記を読み返して、「おまえは何を言っているんだ」と思ったので、久しぶりに日記を書こうと思います。

震災の時はmixiというものをやっていたのですがすでにアカウントを消しており、当時自分が何を考えていたのか思い出せない。2017年のこの日記は震災から実に6年の歳月が経って、はじめてちょっとまとまった文章を書いたんですね。拙いのはともかく、飽き性なので途中で無理やり終わらせているのがわかる。ひどいものです。

この日記を初めて公開したあとに見知らぬ人から「いまだに震災のことは忘れられないし、あの出来事と戦い続けている。この程度の内容で皆が同情してくれるのを見ていると納得がいかない」(※実際はもっとくだけた言い方ですがおおよそこんな雰囲気)といったような主旨の引用RTをいただいて、頭を殴られたような気持ちになったのを覚えています。

私も血気盛んな質なので「色んな種類の戦い方があって、私は私であのとき戦っていました」とリプしたところ当該アカウントには「すみません。不快にさせたでしょうからブロックします」と宣言ブロックされてしまったのですが、そのことは夜中までずーっと引きずりました。

 

 

見知らぬ被災者さんの言葉の内容そのものより、あの日記がどう受け取られたのか、頭を殴られた気持ちになったのはなぜか、そしてその理由は何なのか考えて、そのあと珍しくわんわん声をあげて泣きました。6年間で震災のことを考えてこんなに泣いたのは初めてでした。昔から強情で見栄っ張りなので泣くのが嫌いで、泣かないやつなんですが。最近はけっこう涙腺がゆるくなって、おお人間ぽくなってきたな…と思っています。

 

感情を乱すのが嫌いなので震災のときも動揺らしき動揺はしなかったし、家族もみんな死んで、よりどころである家も無くなっているかもしれないという絶望で自分が何もできないボロきれみたいになるのがいちばん私は怖かった。こんなことは大したことではない、こんなことに負けていられない。なんとかこれをやり過ごすのに常に冷静でなきゃいけない。そういうことばかり考えていました。

なので日記を書いた時もなんか変にテンション低めの文章なんです。このニュートラルでいたい自意識過剰みたいな感じがほんとうに恥ずかしいのですが、しょうがない。起こったことだけ書こう(書かない方がいいことは書かない)と思って書きました。

ずいぶん冷たく、私は何も失っていませんけど何か?みたいな文章に見えたのかもしれません。解決した過去の出来事だと綴っているように見えたのかなとも思います。それは私の文がまずいせいなので、致し方ないです。でも、「私の方がつらかったのに」というニュアンスのコメントをいただいて、夜中に布団にくるまってもんもんとしていたときにピシャッと雷みたいなのが落ちてきたんですね。

 

めっちゃ私もつらかったじゃん…!!!!

 

足指が動かせないほど冷えて、凍え死ぬかと思った避難所の体育館。

他人なんて知るかよ~と思いながら、立場上他の人の世話をしなきゃいけなかった。

家に帰りたくてもこれも仕事だと言われて帰らせてもらえなかった。

がれきになった家を見るのが怖くて山側から遠回りして近づいた。

遺体安置のリストに家族の名前が載っているか、待っている時の列の恐ろしさ。

余震があるたびにまた津波が来るかもと身構えていた緊張感。

海辺の惨状を知らない人からの「あ、大丈夫だったんだ~」という間の抜けた一声。

死ぬかもしれんので行きたくないのに海岸線の様子を見るからと運転手にさせられたこと。

 

色々ある…色々あったんだ…全部は書かないんですけど。

で、何がまずいかというとこれらを6年間も「まあ生きてるし…もっと大変な目にあった人もいるし…」とへらへらしてあんまり向き合わずにいた自分の情けなさ。そういうのが全部ワーッと押し寄せてきて、涙になって出てきました。

結果的に引用リプの人のおかげで数年経って初めてちょっと節目になったところがあるなと思いました。ありがとうございます引用リプの人。あのときは怒らせてすみません。ずいぶんまずい文章だったけど書いたこと自体は謝らないです。あなたがどこかで、少しでも気持ちが楽になって、美味しいものを食べたり笑えるようになっているとよいのですが。

 

 

さらにそこから2年経った2019年の3月11日、私は東京の片隅にいて、相変わらずマイペースにオタク活動を楽しみ、誕生日のこの夜も一人でろくでもない日記を書いています。

今日は朝から雨が降っていてうすら寒かったのですが、9時ころに空が突然明るくなって同僚と「晴れてよかったですね」などと言いながら雑談をして、生きててよかったな~と思いました。

久しぶりにあの時を過ごした女川を訪れたい気持ちになっています。